魚へんに秋と書くキモかわ生物 [むさし野詩人]
江戸東京たてもの園③ [むさし野詩人]
そもそもなぜ「江戸東京たてもの園」へ行ってみたかったかというと
幾人かの写真好きなブロガーさんの被写体となっていた
こちらの銭湯の写真をぜひわたしも撮ってみたいとおもったからでした ☆
「子宝湯」銭湯/足立区千住元町より移築
昭和28年当時の入浴料金
「婦人髪洗料」って、髪洗うのに別料金かかるのかな ?
クラシカルなちょっとしたホテルのような高い天井と
昭和の香りぷんぷん漂う広告とのコントラストがよかったです
さてこの日も、熱心に撮影するカメラマンさんとモデルさんがいて
あまりに真剣な撮影会だったので
映り込んでは申し訳ないと早々に退散しました ★
あれ、こんなところに三省堂?
とおもったら、あの本屋さんとは違う、別の「三省堂」さんでした
「武居三省堂」文具店/千代田区神田須田町一丁目より移築
あとで知りましたが、ここは
千と千尋の神隠しに登場した釜爺の仕事場にあった薬草箱のモデルとなった場所だそう
そうと知ってたら撮影にもチカラ入ったのに ★
こんなブレブレで右上にじぶんの指が入ってる写真しか撮れてませんでした
「江戸東京たてもの園」
ちょっと心残りでザンネンな最終回となってしまいましたが
まだ生まれるまえのニッポン
昭和のなつかしい子供のころのニッポン
遠い記憶のなかにうっすらと面影だけ残っているニッポンが
目の前にリアルに現存してて胸キュンがとまりませんでした
貴重なお宝建築を見てまわった一日の、締めくくりは
”お蔵”の建物にさそわれて
五日市街道沿いの「くら寿司」に入りました
「無添くら寿司 小金井店」東京都小金井市桜町3-4-5
本当は生ビールが飲みたかったけど、セルフサービスで
注ぐの面倒くさかったので「馬路村ゆずチューハイ」を注文☆
「ずわいガニ」
「えびアボカド」
「うなぎ」(だったとおもう)
竹姫寿司シリーズの「赤鬼さん」
〆の「赤鶏ゆずうどん」と、奥は友達が頼んだ「胡麻香る担々麺」
デザートのチョコケーキとコーヒー
こんなに食べておいてナンですが
また胃の調子が悪くて・・昨日病院で胃カメラ(鼻からバージョン)検査してもらったところ
ピロリ菌による「慢性胃炎」と診断されました
今度こそピロリ菌退治、まっとうしたいと思います
江戸東京たてもの園② [むさし野詩人]
先週に引きつづきまして小金井市桜町にある「江戸東京たてもの園」へ
出掛けたときの写真、2回目です
「川野商店」和傘問屋/江戸川区南小岩八丁目より移築
和傘屋さんの横っちょにあった傘の妖怪みたいな、ナゾのオブジェ ☆
江戸時代から昭和期にかけての貴重な
復元保存建造物の内部には
それぞれの時代の商いの諸相や生活情景が再現してあります
「仕立屋」/文京区向丘一丁目より移築
「村上精華堂」化粧品屋/台東区池之端二丁目より移築
「万徳旅館」/青梅市西分町より移築
「大和屋本店」乾物屋(たばこ)/港区白金台四丁目より移築
「丸二商店」荒物屋/千代田区神田神保町より移築
「鍵屋」居酒屋/台東区下谷二丁目より移築
「小寺醤油店」味噌・酒・醤油/港区白金五丁目より移築
店先に陳列してあった大量の「サントリーオールド」
生まれてはじめて二日酔いを経験したのがこのお酒だったなぁと
昔々のほろ苦い琥珀いろの思い出が蘇ってきました
江戸東京たてもの園① [むさし野詩人]
まだちょっと、うっすら肌寒い季節のころ
江戸時代から昭和期にかけての30棟を数える復元建造物が保存展示されている
野外博物館「江戸東京たてもの園」へ行ってきました
「江戸東京たてもの園」小金井市桜町3-7-1
マスコットキャラクターの「えどまる」くん
緑豊かな野外博物館にふさわしい色をイメージし、虫をテーマに
宮崎駿監督により制作されたそうです
三井財閥総領家「三井八郎右衞門邸」港区西麻布三丁目より移築
建築家「前川國男邸」品川区上大崎三丁目より移築
あ”~ザンネン「高橋是清邸」修繕工事中★
現地保存が不可能な歴史的・文化的価値の高い建築物が
約7hの敷地内に、時代と場所を超えて一堂に会しているので
見応え十分、とても一日ではまわりきれません
・・失敗したのは
ブーツを履いて(まだ寒かったので)行ったこと
ほとんどの建築物が靴を脱いでの室内見学となるので
こちらの野外博物館へお出かけの際はぜひ脱いだり履いたりしやすい靴で ・・☆
江戸時代に建てられた茅葺き民家のあたたかい囲炉裏端で
まろやかな「桜湯」を振舞われてホッと一息
江戸東京たてもの園、まだまだ写真
たくさん撮ってきたので来週につづきまーす
猫たちがつくったヘンテコなお城 [むさし野詩人]
太宰治が生きたまち~三鷹 [むさし野詩人]
陸橋のうえで黒いマントを翻し遠い空をじっとみつめている作家
1939(昭和14)年、三鷹に転居してきた太宰治は
1948(昭和23)年、玉川上水で自死するまで
「走れメロス」「斜陽」「人間失格」などの作品を発表しました
ここは三鷹で太宰治が暮らしていた当時のままの姿を残す
唯一のスポット「三鷹跨線人道橋(陸橋)」です
近くに仕事部屋があった太宰治はこの陸橋が好きで
「いいところがある」と言って編集者や弟子を連れてきていたそうです
10代のころ、わたしは太宰治の
「女生徒」という作品が気に入ってて繰り返し読んでました
遠い田舎の山の頂上の一軒家や、パリィの裏街の汚いアパートの廊下で
主人公と同じ年の娘たちが洗濯しながら、同じ瞬間、同じ月に笑いかけて想う
いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、
可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるのかも知れないのだけど、
けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を
どうして暮していったらいいのだろう。
少女からオトナへの過渡期で揺れまくる内面をもてあましてるのは
自分ひとりではないんだと救われたような気がしたのでした★
こちらは、ちょうどそのころ
祖母から譲りうけた「人間失格」の初版本
「人間失格」1948(昭和23)年7月25日 筑摩書房発行
この本には連載13回で未完、絶筆となった「グット・バイ」も掲載されています
玉川上水沿いにある「玉鹿石」
この道路を渡った向こう側が太宰治と山崎富栄が入水した場所です
当時の玉川上水は「人喰い川」と呼ばれるほど急流で水量も多かったそうで...
玉川上水にかかる「新橋」付近で紐で結ばれた二人が発見されたのは
奇しくも太宰治の誕生日6月19日でした
「禅林寺」東京都三鷹市下連雀4-18-20
路傍の山本有三記念館 [むさし野詩人]
今古の色を湛える窓ガラス越しに真冬の日差しを浴びながら...
JR三鷹駅から三鷹の森ジブリ美術館へ向かう玉川上水沿いの
遊歩道「風の散歩道」の路傍にある
洒落た門構えが目を引く「山本有三記念館」に行ってきました ☆
「三鷹市山本有三記念館」東京都三鷹市下連雀2-12-27
大正末期に建てられたこの洋館は
小説家 山本有三が代表作「路傍の石」や戯曲「米百俵」を執筆し
昭和11年から21年まで居住した建物です
時勢が厳しくなっていくなか
有三は本を満足に手にすることのできないこどもたちのために
「ミタカ少国民文庫」を開設し
所蔵の児童図書を邸宅の一部で開放しました
しかし終戦後、この三鷹の洋館は進駐軍に接収され
壁にペンキは塗られてしまい、こだわりの家具は乱暴に扱われ
返還されてからも有三は二度と住もうとしませんでした
門の前にあったのは、名作を記念する ”路傍の石”
小説「路傍の石」執筆当時の昭和12年、有三は中野旧陸軍電信隊付近の道ばたで
この大きな石を見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられています。
この石は、作品の名に因み、いつしか ”路傍の石” と呼ばれ親しまれるようになり、
その後、東京都に寄附された山本邸が昭和33年有三青少年文庫として開設される
ときに現在の位置に移されました。
山本有三記念館の開館にあたり、有三の名作「路傍の石」を記念するものとして、
由来を記します。
三鷹市 平成8年11月3日
「石はふくむ今古の色 有三」
※今古(こんこ)とは今と昔を意味する言葉~長い年月を蓄積した石の色
むさし野のリスの小径 [むさし野詩人]
むさし野の彫刻の森 [むさし野詩人]
晩秋に染まる木々と雄渾なブロンズ像が共存している
武蔵野市にある「井の頭自然文化園」で
「天女の笛」昭和57(1982)年
長崎「平和祈念像」の作者として知られる
北村西望の作品を鑑賞してきました☆
「静座‐巨人」大正14(1925)年
「若き日の織田信長」昭和45(1970)年
「加藤清正公」昭和35(1960)年
アトリエ館と展示棟A館・B館は
写真撮影禁止でしたので
「将軍の孫」大正7(1918)年
野外に展示してある、まるで森の木々と同化しているかのような
野趣あふれる作品たちを撮ってきました・・☆
「人類の危機」昭和33(1958)年
なにが人類の危機なんだろうと思ったら右手に持っているものは.....「核爆弾」
「快傑日蓮」昭和29(1954)年
日蓮さんて「スキッパ」だったのネ....
「拳闘」昭和6(1931)年
「師範代」大正9(1920)年
「花吹雪」昭和36(1961)年
「咆哮」昭和58(1983)年
「烏の母親‐舞踊」昭和31(1956)年
「創造の人」昭和2(1927)年
いつの間にかどこからか、彫刻の森に
染み入るように尺八の音色が流れてきました シブい
選曲は「サマータイム」
「健康美」昭和5(1930)年
過ぎ去った遠い季節に想いを馳せながら
ひととき、心に染み入る自然文化園の秋でした