展示室へと続く導入路~プロローグ [文京区]
紀元前の壁画から現代の印刷まで、古来人間が刻んできた
ビジュアルコミュニケーションの足跡をたどる、展示室へと続く導入路
高さ7m、長さ40mの大壁面「プロローグ」
「印刷博物館」文京区水道1-3-3
TOPPAN小石川本社ビル
ラスコーの洞窟壁画やロゼッタストーン、インカ結縄文字など
世界史の教科書で見たことあるような歴史的資料の陳列は
レプリカとはいえ、なかなか迫力があります
印刷された年代が明確な、現存する世界最古の印刷物「百万塔陀羅尼」
食臓腑の働きを小人に見立てて描いた錦絵「飲食養生鑑」
安政の大地震(1855年)の際に発行された瓦版「鯰絵」
「角大師護符」(左)
オーデュボン「アメリカ鳥類図譜」
M.C.ペリー「ペリー提督日本遠征記」
「プロローグ」エリア内では、土日祝の15:00から
現存する世界最古の木製手引き印刷機(レプリカ)による
印刷実演を間近で見学することができます
15世紀に近代活版印刷術を発明したドイツのグーテンベルクは
ぶどう絞り機をヒントにして印刷機をつくったそうです
世界三大発明のうちのひとつに数えられる「活版印刷」
この木製の印刷機の誕生は
そうとう画期的な出来事だったんだろうな
なんて想像しながら、だらだらとその場に居残って
実演終わりのインストラクターさんが
印刷機をクリーニングする様子をしばし見守っていました
印刷博物館のエントランス(入口)とプロローグ(導入路)だけで
すっかり集中力使い果たした感ありますが
最後の力をふりしぼってこれから展示室へ向かいます ☆
突破するTOPPAN小石川ビル [文京区]
メタルグリーン色が上空に際立つ、21階建の「トッパン小石川ビル」は
飯田橋~江戸川橋あたりを散策するとき
今いる自分の位置情報を
確認するのにいつも役立っています
「トッパン小石川ビル」文京区水道1-3-3
「凸版印刷から印刷が取れて、TOPPANへ」
大泉洋・成田凌が出演するCMのキャッチコピーのとおり
2023.10.1付で、いよいよ「凸版印刷株式会社」から
「TOPPANホールディングス株式会社」へと社名変更した ”TOPPAN”
・・ほぼ20年ぶりくらいに
ふらっと、ビルの中へ入ってみました
クラシック音楽専用ホール「トッパンホール」トッパン小石川ビル1階
社員食堂(一般の人も利用可)「小石川テラス」トッパン小石川ビル2階
Printing Museum,Tokyo「印刷博物館」トッパン小石川ビル地下1階
たしか印刷博物館内の写真撮影は禁止だったはずなのに
いつのまにか1階エントランス・プロローグ・常設展のみ撮影可能となってました
ありがたいです
早速撮ってきたので
次回、掲載したいとおもいます
日中友好会館のビャンビャン麺 [文京区]
後楽園の日中友好会館美術館で
「クーばあちゃんの魔法の花空間」展を観たあと
館内にある中華レストランの立て看板を
何気なく見てたら、ランチメニューの一番下に
やたら画数の多い漢字が2つ並んでいて
すごく気になったので、思いきって中へ入って注文してみました
中国茶芸苑「馥 (フク)」文京区後楽1-5-3
日中友好会館本館1F
本場シェフ店内手作り「ビャンビャン麵」1,200円(平日1,000円)
名前は聞いたことあったけど
人世初ビャンビャン麵、よく混ぜて頂きます
大きめの器に、幅広で厚くて長~い麺が2本入ってて
お箸で持ち上げると結構インパクトあります、そして重たい !
なんとか麺の端っこを見つけて、ひとくち食べてみたら
コシのある幅広太麺がビャンビャンと口のなかで暴れて噛みにくく
飲み込むまでにだいぶ時間がかかります
そうやって苦戦してるうちに麺も固くなってきて
結局2本ある麺のうち1本しか食べ切ることができませんでした ★
辛いのかなと覚悟したほど辛くはなく
酸っぱ旨辛くて、クセになりそうなお味でした
ビャンビャン麵との
格闘のあと
改めて店内をゆっくり見渡してみると
とても美しい内装のステキなお店で
画数の多い漢字のメニューに誘われて
中へ入った甲斐はあったかなとおもいます
もともとコシのあるうどんを食べるときなど
よく噛まないと飲み込めないタチだったのですが
最近、嚥下時に喉がフリーズして
むせ込んでしまうことがだんだんと増えてきました
・・きっと弱いところから、衰えてくるものなんでしょうね
クーばあちゃんの魔法の花空間 [文京区]
切り絵の女神と呼ばれる、中国初のユネスコ認定「民間美術工芸の巨匠」
クーばあちゃんこと庫淑蘭:クー・シューラン(1920-2004)は
封建主義の影響を色濃く残す
陝西(せんせい)省、旬邑(じゅんゆう)県の
農村部に生まれました
「クーばあちゃんの魔法の花空間 ~庫淑蘭切り絵展~」2023.9.22~11.5
「日中友好会館美術館」文京区後楽1-5-3
「獅子の子」2001年製作
幼少期での結婚、文盲、纏足の強制、夫からのDV
衛生状態が悪く13人の子供のうち10人が亡くなるなど
辛く悲しい日々のなか、彼女の生きる希望になったのが
農業の合間に作る
中国伝統の剪紙(切り絵)でした
村で開かれる剪紙の教室が終わると
机の上や床に散らかった切りくずをかきあつめて持ち帰り
それらを素材にして制作していたそうです
切りくずの一欠片一欠片を、大切に慈しみながら
作品と向き合う庫淑蘭の姿を思い浮かべると
なんだか胸がじんと熱くなりました
65歳のとき、崖から転落する事故に遭い
40日を超える昏睡状態に陥り
生死の淵を彷徨う庫淑蘭の脳裏に「切り絵の女神」が現れました
「切り絵の女神」1989年製作
奇跡的に意識を取り戻した、晩年の彼女の作品には
たびたびその女神が登場するようになります
女神の手には、小さなハサミが握られていて...
「切り絵の女神」1992年製作
自分自身を「切り絵の女神」と位置づけ、自己を肯定し
クーばあちゃんこと庫淑蘭は
全身全霊で、切り絵を作り続けました