階段のうえのウサギとフクロウ [落合]
佐伯祐三アトリエ記念館 [落合]
パリ裏街風景を描き続けた夭逝の天才洋画家「佐伯祐三」は
6年間という短い画家活動の大部分をパリで過ごし
30歳という若さでパリに散りました
「ガス灯と広告」1927(昭和2)年 東京国立近代美術館にて撮影
「モランの寺」1928 (昭和3)年 東京国立近代美術館にて撮影
そんな佐伯祐三が日本で唯一、創作活動の拠点として
アトリエをかまえたのが大正時代の下落合、現在の中落合2丁目4番です
「新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館」新宿区中落合2-4-21
パリ生活の合間に、このアトリエで
佐伯祐三が描いたニッポン
大正から昭和に元号が変わるころの下落合風景
けど・・その視線は、目前の風景をとおり越して
遥かかなた遠いパリの街角を見つめている気がどうしてもするのでした ☆
なんと、アトリエ周辺では「毛虫」の目撃情報がっ!?
ヒヤぁ~★
中村彝アトリエ記念館 [落合]
この字、読めないし、ぜったい書けない★
大正期に活躍した洋画家「中村 彝(つね)」
肺結核のため 37 歳で
亡くなるまで暮らしたのがこの下落合のアトリエです
「新宿区立 中村彝アトリエ記念館」新宿区下落合3-5-7
代表作は、東京国立近代美術館が所蔵する
盲目のロシア人青年を描いた作品
「エロシェンコ氏の像」1920(大正9)年 重要文化財
東京国立近代美術館にて撮影
アトリエに展示されてる画はどれも複製でしたが
アトリエ全体がひとつの絵画のようでミリョク的でした
大きな採光窓と天窓は
柔らかく安定した自然光を採りいれるため、やはり北側に設けられていました
まるでキリストのような風貌の、彝さん
天涯孤独、病気、失恋の苦悩をかかえ
下落合のこのアトリエで生涯を終えられたのですね ・・☆
かば公園 [落合]
青かばさん 緑かばさん
ピンクかばさん
青・緑・ピンク3色の色鮮やかなカバさんたちがいる
坂の上の閑静な住宅街にある「かば公園 (通称ではなく正式名称)」
「かば公園」新宿区中落合2-16
かば公園の西側入口でお出迎えてしてくれるのは
大好きなお花に囲まれてご機嫌なようすのピンクかばさん
いっぽう反対側
東側の入口でお出迎えてしてくれるのは
すてきな足跡がご自慢の
緑かばさん
そして、かば公園のまんなかで
リーダー然とした風格をかもしだしている青かばさん
なんと青かばさんのお腹は、中身が丸見えでした★
よく見たら、胃が3つあります!!!
そんな、カラフルな3色かばさんたちがいる「かば公園」で
いつかは「かば公園デビュー」したいと思っているのが、こちらのお方
白黒柄のしまうまさん
やっぱり今日も一歩を踏みだす勇気がありません
下落合の牡丹寺~薬王院 [落合]
鎌倉まで、わざわざ出向かなくても
まるで鎌倉のような...
”花で有名なお寺”が新宿区にもあるなんて イヤ、ほんと知りませんでした
「東長谷寺・瑠璃山 薬王院」新宿区下落合4-8-2
約40種1,000株の牡丹の花が植えられ
その美しさから別名 ”牡丹寺” と呼ばれている「薬王院」
近ごろめっきりふさぎこみ、引きこもり気味になってしまっていた
おじいちゃん、おばあちゃんも
家族や、付き添いの人らに手を引かれて
この日ばかりは
今をさかりと色めき香りたつ牡丹の花の大輪の、富貴な姿に見入っています
花は無心に咲き、そして散っていく
その瞬間の美に人はこころを開く
花の命は短くても人に宿る美のこころは永遠に変わらない
染の小道~道のギャラリー [落合]
東京の染色業の中心地、新宿の落合・中井エリアで
2016.2.26(金)~2.28(日)の3日間
「染の小道」という、染の祭典が催されました
西武新宿線・都営大江戸線「中井駅」周辺の店舗と
染色作家が抽選でマッチング
お店に合わせて創意工夫を凝らした作家たちのオリジナル「暖簾(のれん)」が
地元銀行や郵便局
薬局や八百屋さんや本屋さん、たい焼き屋さんなどの軒先を飾って
とても粋で華やかです
染色の伝統の手わざや、デザインを
中井の町を歩きまわりながら身近に感じることのできる「道のギャラリー」
「染の小道」の2大看板企画
①妙正寺川に反物を架ける「川のギャラリー」
②商店街を暖簾で飾る「道のギャラリー」
今年は①反物と②暖簾の写真ばかり撮ってまわったので
来年はぜひとも女友だちを誘って
色とりどりの暖簾をくぐって一軒一軒お店めぐりをしたいと思います
「男茶屋 いづみ庵」で
一服 五百円の、男のおもてなしも受けてみたいし☆
昭和の記憶を架け渡す~川のギャラリー [落合]
新宿の地場産業である、染色業
東京染小紋(江戸小紋)や江戸更紗など
古くから「染の街」として知られる落合・中井地域で
2016.2.26(金)~2.28(日)の3日間
妙正寺川の流れに沿って、染色業が盛んだった昭和30年代ころの・・
「川で反物を洗っている情景」を再現したイベントが開催されました
昭和の面影・街の記憶を、いまに呼び起こす
「川のギャラリー」
・・そのとき
とつぜん突風が吹いて
それまで穏やかだった川面に、バサバサバサ~っと反物がひるがえり
ざわざわざわと記憶の奥に、さざ波がたって........
ご近所に住む高校生のオネエサンが、うちの弟へと
着古しの浴衣をほどいてつくってきてくれた白地に青の「おしめ」の柄がありありと
庭先の物干し竿で、バサバサバサ~っと突風にひるがえる
弟の「おしめ」の柄がありありと
昭和の記憶として
わたしの脳裏に蘇ってきたのでした
花の命は短くて苦しきことのみ... [落合]
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かりき
林芙美子
その夜- 昭和26(1951)年6月27日
時刻は11時を回っていました
突然、芙美子は苦しみはじめ、翌28日午前1時、帰らぬ人となりました
婦人雑誌の食べ歩き取材記事のため外出し、夜10時過ぎに帰宅
家族と団欒したあと、床に就いた矢先の出来事でした
享年47歳
心臓病(心臓弁膜症)を抱えていた林芙美子は、主治医の忠告を聞き入れず
執筆に追われ、取材旅行も多くこなしていました
絶筆は、朝日新聞に連載中だった長編小説「めし」
芙美子夫妻は生後間もない男の子、泰をもらいうけ養育しますが
泰は16歳で事故死します
平成元(1989)年に物故した、夫で画家の緑敏は
自らの死期を悟ったとき・・
「放浪の作家」林芙美子が、身骨砕いて築き上げ
その生涯を閉じるまで10年間暮らした「終の棲家」を、新宿区に遺贈しました
それが、落合にある「新宿区立林芙美子記念館」です
林芙美子の命日(6月28日)に、 ちなんで
普段は入ることのできない「林芙美子記念館」の建物内部が
特別に公開されるというので行ってきました
芙美子邸へ4度訪れたという、太宰治の
「ヴィヨンの妻」初版本の扉絵は、じつは林芙美子が描いたモノだそうです(知らなかった☆)
ざまざまな年代の女性たちとともに
芙美子愛にあふれるベテラン解説員さんの熱弁に聞き入りながら
64年前、この部屋で行われた林芙美子の告別式で
子供をおんぶしたりエプロン姿に買い物かごを さげた、大勢の「おかみさん」たちが
焼香を待って何百人も行列したという稀有な光景に、思いを馳せました
花のいのちはみじかくて
苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり
雲も光るなり
林芙美子
2015.6.28 「林芙美子記念館」新宿区中井2-20-1