春の日のほんの数日間の共演 [早稲田]
早大通りに100本余りあるシダレモモのうち
一番のお気に入りが
日本のガウディ「梵寿綱」設計の
デザイナーズ賃貸マンション前に咲いてる、この一本
「ドラード早稲田」新宿区早稲田鶴巻町517
個性的な洋風建築と、源平(紅白)競い合って咲く
満開のモモの花とがお互い引きたて合って
一年のうち、春の日のほんの数日間だけ見られる、華やかな共演です
モモの花の共演者は他にも・・
モモの花と、アヒルたちの共演
モモの花と、ヘビの共演
モモの花と、ネパール料理店「クマリマー」の共演
モモの花と、珈琲店「香磁」の共演
珈琲店香磁という看板の文字の色と
モモの花の色が、絶妙にマッチしています
お店の看板くま
「くまのプーさん」がしているお手製マスクは
なんと「くまモン」!
・・ありそうでなかった斬新な共演
源平競い咲き枝垂れ桃 [早稲田]
平家は赤、源氏は白
まるで源平合戦のように
赤花と白花が競い合って咲くモモの花
「源平枝垂れ桃」は
一本の木に赤と白の2色を咲かせるハナモモで
その色の割合は毎年変わるそうです
早稲田大学正門から
江戸川橋通りまで約500メートル続く「早大通り」に
100本以上植えられていて、毎年この時期になると
通りを華やかに可愛らしく彩ります
木によっては源氏が優勢だったり、平家が優勢だったり
モモの花による源平合戦は
どちらとも甲乙つけがたい好勝負です
すぐ近くの江戸川公園では
神田川沿いにずらっと並ぶ満開になった桜を見に
休日たくさんの人が訪れとても賑やかでしたが
早大通りの満開のモモの花のほうは、いつもと変わらない静かな休日です
どうして桜だけこんなに毎年ちやほやされるのかな
なんーて、愚痴るヒマもないくらい
モモたちは年に一度の合戦に夢中のようです
メガネをかけた眼鏡屋さんのビル [早稲田]
2~3階の窓と4階のベランダの手すりがメガネになってる
早稲田通り沿いの眼鏡屋さんのビル
「角田眼鏡店」新宿区西早稲田3-1-4
この写真は
6年前(2015年)に撮ったもので
そして、こちらが3年前(2018年)の写真
メガネをはずした姿を見たことがなかったので
気がつかず危うく通り過ぎるところでした
念のため一昨日(2021.3.19)に撮った写真
相変わらずメガネも看板もはずしたままだったけど
ビルは健在で、ほっとしました
メガネをかけた眼鏡屋さんといえば、もうひとつ
「老眼めがね博物館」豊島区南池袋3-16-9
博物館というなまえの老眼鏡アウトレット
あんまりたくさんあって
しかも、安すぎて
目移りして選べず、結局ひとつも買えませんでした ★
箱根山通りで合掌する人 [早稲田]
傾斜7%の緩やかな坂が600mくらい続く
山手線内で一番高い山の名に由来する「箱根山通り」
周辺の広大な土地はもと軍用地で
通りの両側には学校・公園・計画団地・国営施設などが連なり
民家は一軒も見当たりません ☆
箱根山通り沿いにはツタの這う高い塀があって
この塀の向こうに建っているのが「国立感染症研究所(感染研)」です
「国立感染症研究所」新宿区戸山1-23-1
水曜日の新聞に、感染研が
新型コロナ感染者からウイルスを取りだし
英国由来の変異種の採取に成功したと掲載されていました
薬やワクチン開発に利用されるそうです
感染研のお隣りにある国立国際医療研究センターも
国の感染症対策の中核を担う医療機関です
「国立国際医療研究センター」新宿区戸山1-21-1
ダイヤモンドプリンセス号の重症患者や
武漢からの帰国者が搬送されたときは
Tvの中継車や報道ヘリコプターがバタバタ飛びかって
ものものしい雰囲気でした
病院の方向へむかって、箱根山通りに掲げられている
医療従事者の方々への感謝の横断幕
笑いの神様の訃報が報道された翌日には
(志村けんさんは新型コロナウイルスによる肺炎のため国立国際医療研究センターで亡くなりました)
箱根山通りから40~50代くらいの男の人が
病院の方向へむかって、ひとり静かに合掌してる姿を見かけました
きっとものすごいファンだったんだろうな
ほんの一瞬の出来事だったけど
いつまでも心に残るワンシーンでした
一陽来復~まばゆい布袋尊覆屋 [早稲田]
今年の賀詞「一陽来復」は、 陰極まって一陽が生ずること
悪い事が続いたあと、ようやく
物事が良いほうへ向かうという意味なのだそうです ☆
穴八幡宮は、冬至以降「一陽来復」の御守を受ける人たちで
毎年とても混み合っています
「穴八幡宮」新宿区西早稲田2-1-11
なので混み合う(冬至の)前に、久しぶりにお参りに行ってみたら
布袋尊覆屋と手水舎が、いつのまにか鮮やかな
オレンジ色に変わっていました
新しくて、まばゆくて、目がチカチカしてしまいます
2013.4.29撮影
以前は、こんな落ち着いた色合いの覆屋だったので
だいぶイメージが変わりました
布袋さまを覆い包み込むように
屋根の裏側や梁に貼られた千社札を
もう見ることが出来ないとおもうとちょっと淋しい です★
山小屋の350円お弁当 [早稲田]
今回は蔵出し写真じゃなくて、ひさびさに最近撮った写真です ☆
緊急事態宣言からの、たまの出勤日
いつも食堂で一緒にランチを食べてる同期の人たちとも
テレワークですれ違いの日々が続いて・・
だったら3密避けた屋外で、ひとりで気楽にランチ食べようと
ぐうぜん見つけたお弁当屋さん
5年前、初登頂をはたした
東京山手線内で一番高い「箱根山」のふもとにある
幕の内弁当「山小屋」
「山小屋」新宿区戸山2-10
食べログの口コミ1件しか投稿されていない
知る人ぞ知る「山小屋」の営業時間は
平日の12時ちょっと前から15時までとかなり短め
食材の品目多くて彩り豊かな
手作り日替わりお弁当が350円(税込)お味噌汁つき
なんだ、350円なのはレディース弁当のほうかと思われた
(ランチ代を節約したい)男性の方にも朗報です ☆
レディース(サイズ)でも十分ボリュームあるので
男性でもレディースを買っていかれる方けっこういらっしゃるとのことです
わたしはこれまで4回お弁当を買いましたが
いちばん感心したのは、お味噌汁です
最初飲んだ時は、あまりのぬるさにビックリしたけど
味は上品、具材もおしげもなくたっぷり入ってます
せっかくなら
山小屋でお弁当を買って箱根山の頂上で食べたいなと思いがちですが
ザンネン、山頂での飲食は禁止となっています★
木組み博物館~Kigumi [早稲田]
今回の蔵出し写真は、早稲田通り沿いにあるマンションの3階で
火・水・木 と 月1回の土曜日のみ開館してる博物館
「木組み博物館」
新宿区西早稲田2-3-26
ホールエイト3階
「木組み」は
クギを使わずに木材だけで建物を作る日本の伝統構法で
古来より宮大工さんにより受け継がれてきました
仕口・継手と呼ばれる複雑な切り込みを手刻みでいれて
加工した木材の互いの接合部をガッチリはめ合わせる匠のワザです ☆
こちらは木組み博物館のすぐ側に鎮座する「穴八幡宮」隋神門の柱頭(実物大)
博物館には「木組み」の模型や見本以外に
素材や道具、左官や漆塗りといった伝統技術の展示もありました
木を「板」にすると「枝」があった部分が「節」になって
その節には「生き節」「死に節」
2種類があると知ってとても興味ふかかったです
「屋久杉ベンチ」の座り心地をちょっとだけ試してから
クイズの答えを知って、へえぇ~とおもって帰りました
裏葉柳(うらはやなぎ)色の庭園 [早稲田]
今回の蔵出し写真は、わたしのブログの背景の色
「裏葉柳(うらはやなぎ #c1d8ac)色」と
妙に色合いがマッチしてる、韓国伝統様式「鐘楼」がある庭園
早稲田大学の創始者
大隈重信邸宅跡地「大隈庭園」です
「大隈庭園」新宿区戸塚町1-104
豊かな緑と芝生のむこうから「大隈講堂」がちょこんと顔を覗かせています
ガラス張りの窓に映った木立が美しい学食「大隈ガーデンテラス」
庭園に隣接するヨーロピアンクラシック「リーガロイヤルホテル東京」
Tvドラマなどの舞台で度々目にする、ホテルの
高さ8mの明るい大きな窓のガーデンラウンジから広がる緑は
早稲田の杜、ここ「大隈庭園」だったんですね
「BOSS 2」3話
拝殿裏の異空間~水稲荷神社 [早稲田]
天慶のむかし
平将門を討ち果たしたツワモノ藤原秀郷(俵藤太)が
”富塚” という古墳に、稲荷大神を勧請したのが創始という古社
「水稲荷神社」新宿区西早稲田3-5-43
元禄時代に霊水が湧出し、眼病に効能があったことから
「水稲荷」と呼ばれるようになったそうです
拝殿の裏側にまわってみると
戸塚の町名の起源になった
富塚古墳 という案内板が
・・一体のおキツネさんと目が合ってしまいました ☆
うっそうと生茂る木立ち、ごつごつした岩
横穴式石室、鳥居、祠・・・
そして、なんとなく可愛いらしいおキツネさんたち
拝殿の裏にはこんな注意書きも貼ってありました
「不敬」「不信心」「不正理」
将門ゆかりの神社でもあるし・・疎かに接するとちょっとこわいかも
早稲田スポーツミュージアム [早稲田]
早稲田大学キャンパス内で
一般無料公開されている文化施設といえば
日本で唯一演劇を専門に扱う「坪内博士記念演劇博物館」や
横山大観と下村観山の合作「明暗」が大階段を飾る
「會津八一記念博物館」がありますが
今回は、今年(2019年)3月20日に新しく開設された
「早稲田スポーツミュージアム」へはじめて行って来ました
「早稲田スポーツミュージアム」新宿区戸山1-24-1
早稲田大学戸山キャンパス 早稲田アリーナ3階
このミュージアムがある早稲田アリーナ(旧:記念会堂)は
1964年東京オリンピックでフェンシングの会場となった場所だそうです
先週放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」見てたら
アムステルダムオリンピック女子陸上800mで
プレッシャーと孤独のなか、みごと銀メダルを勝ち取った「人見絹江」選手
・・・の激走を目の当たりにして火がついたのか
ニッポン初の金メダルを獲得した選手というのがこの人
1928年アムステルダムオリンピック三段跳び金メダリスト「織田幹雄」選手
(当時:早稲田大学商学部 早大競走部在籍)
その輝かしい栄光ゆえ織田幹雄選手にはその後
1964年東京オリンピックで聖火台の最終ランナー候補として名前があがりますが
「ぜひ若者たちに」と固辞、かわりに白羽の矢がたったのがこの人
「東京五輪の聖火最終ランナー」
”坂井義則は1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下
された数時間後に広島県三次市で生まれた。高校では国民
体育大会400mで優勝し、東京オリンピックへの出場を
目指す。折しも早稲田大学では、1964年に教育学部体育学
専修を設け、定員160名の精鋭教育を始めたが、坂井はその
1期生として入学し、競争部に所属する。陸上の400m
と1600mリレーで日本の強化選手に指名されたが、7月の代表
選考会で敗退、選手としての出場は叶わなかった。
失意の坂井のもとに、オリンピック開会式の聖火最終ラン
ナーに選ばれたとの報が届く。広島への原爆投下の日に生ま
れたことから、白羽の矢がたった。10月10日の開会式で、
坂井は国立競技場のトラックを半周したあと、聖火台までの
階段を駆け上り、聖火を灯した。国内外のメディアから
「アトミック・ボーイ」と呼ばれ注目を浴び戦後復興と平和の
象徴的存在となった坂井は、その後1966年バンコクアジア
大会では1600mで優勝、400mでも銀メダルに輝いている。”
早稲田大学とオリンピックの関わりが色いろとわかったところで
他にもこころに残る早稲田スポーツエピソードがあったので少しご紹介します
「嵐のボートレース」
”1957年5月12日、第26回早慶レガッタは前夜から続く
暴風雨の中、大波たつ隅田川で開催された。レースは有力
選手の多い慶應が序盤からリードを奪ったが、蔵前橋を過ぎた
辺りから浸水により遅れ始める。慶應艇では、たとえボートに
水が入ってきても、全員がオールから手を離さずに漕ぎ抜く
べきと考えて、あえて水を掻き出さなかったため、やがて
レース途中で沈没してしまう。
一方で早稲田邸は、たとえ試合には負けても、ボートを
沈めることこそが最も恥ずかしいと考え、数名の選手があら
かじめ準備した椀を使い、水の掻き出し役に専念した結果、
先行する慶應艇を逆転しゴールに辿り着いた。終了後に早稲田
側は、これは真の勝負でないとして再試合を申し入れたが、
慶應側は潔く負けを認め、早稲田の優勝を祝福した。この
出来事は、両校のスポーツマンシップを示す逸話として賞賛
され、1960年代に小学校国語教科書にも「あらしのボート
レース」の題で掲載された。”
「小学校国語六年上」教科書p48~49
『あらしのボートレース』人の考え、じぶんの考え
庭球規「この一球」
”テニスプレーヤーの間であまりにも有名なこの名文句は、
庭球部OBの福田雅之助が 部員に贈ったものである。現在も
部室には、額に入った直筆の全文が飾られている。後に人気
漫画でも使われ、広く知れ渡るようになったが、早稲田大学の
選手のみならず幾多のテニスプレーヤーが、この言葉に感銘
を受け勇気づけられた。本学の出身ではない松岡修造選手
も、ウィンブルドンでマッチポイントを握った場面で「この一球
は絶対無二の一球なり」と叫んでサーブを放ち、ベスト8進出
を決めた。”
「エースをねらえ!」山本鈴美香/(株)集英社
少年少女を中心にテニスブームを起こした漫画「エースをねらえ」の中でも
福田雅之助や佐藤次郎が登場
「こんなの、まだ有ったんだ」
老紳士が展示物を見つめて感慨深そうに呟いていらっしゃいました
わたしのように早稲田大学に縁もゆかりもなくスポーツにほとんど関心がなくても
十分楽しめた「早稲田スポーツミュージアム」
OBはもとよりスポーツ好きな人にはもっと楽しめる施設なんじゃないかとおもいました