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早稲田スポーツミュージアム [早稲田]

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早稲田大学キャンパス内で
一般無料公開されている文化施設といえば

日本で唯一演劇を専門に扱う「坪内博士記念演劇博物館」や

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横山大観と下村観山の合作「明暗」が大階段を飾る
「會津八一記念博物館」がありますが

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今回は、今年(2019年)3月20日に新しく開設された
「早稲田スポーツミュージアム」へはじめて行って来ました  pataani39.gif

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          「早稲田スポーツミュージアム」新宿区戸山1-24-1
                   早稲田大学戸山キャンパス 早稲田アリーナ3階



このミュージアムがある早稲田アリーナ(旧:記念会堂)は
1964年東京オリンピックでフェンシングの会場となった場所だそうです

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先週放送されたNHK大河ドラマ「いだてん」見てたら

アムステルダムオリンピック女子陸上800mで
プレッシャーと孤独のなか、みごと銀メダルを勝ち取った「人見絹江」選手

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・・・の激走を目の当たりにして火がついたのか
ニッポン初の金メダルを獲得した選手というのがこの人

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1928年アムステルダムオリンピック三段跳び金メダリスト「織田幹雄」選手
                 (当時:早稲田大学商学部 早大競走部在籍)


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その輝かしい栄光ゆえ織田幹雄選手にはその後
1964年東京オリンピックで聖火台の最終ランナー候補として名前があがりますが
「ぜひ若者たちに」と固辞、かわりに白羽の矢がたったのがこの人

「東京五輪の聖火最終ランナー」
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  ”坂井義則は1945年8月6日、広島市に原子爆弾が投下 
 された数時間後に広島県三次市で生まれた。高校では国民
 体育大会400mで優勝し、東京オリンピックへの出場を
 目指す。折しも早稲田大学では、1964年に教育学部体育学
 専修を設け、定員160名の精鋭教育を始めたが、坂井はその
 1期生として入学し、競争部に所属する。陸上の400m
 と1600mリレーで日本の強化選手に指名されたが、7月の代表
 選考会で敗退、選手としての出場は叶わなかった。
  失意の坂井のもとに、オリンピック開会式の聖火最終ラン
 ナーに選ばれたとの報が届く。広島への原爆投下の日に生ま
 れたことから、白羽の矢がたった。10月10日の開会式で、
 坂井は国立競技場のトラックを半周したあと、聖火台までの
 階段を駆け上り、聖火を灯した。国内外のメディアから
 「アトミック・ボーイ」と呼ばれ注目を浴び戦後復興と平和の
 象徴的存在となった坂井は、その後1966年バンコクアジア
 大会では1600mで優勝、400mでも銀メダルに輝いている。”





早稲田大学とオリンピックの関わりが色いろとわかったところで
他にもこころに残る早稲田スポーツエピソードがあったので少しご紹介します


「嵐のボートレース」
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  ”1957年5月12日、第26回早慶レガッタは前夜から続く 
 暴風雨の中、大波たつ隅田川で開催された。レースは有力
 選手の多い慶應が序盤からリードを奪ったが、蔵前橋を過ぎた
 辺りから浸水により遅れ始める。慶應艇では、たとえボートに
 水が入ってきても、全員がオールから手を離さずに漕ぎ抜く
 べきと考えて、あえて水を掻き出さなかったため、やがて
 レース途中で沈没してしまう。
  一方で早稲田邸は、たとえ試合には負けても、ボートを
 沈めることこそが最も恥ずかしいと考え、数名の選手があら
 かじめ準備した椀を使い、水の掻き出し役に専念した結果、
 先行する慶應艇を逆転しゴールに辿り着いた。終了後に早稲田
 側は、これは真の勝負でないとして再試合を申し入れたが、
 慶應側は潔く負けを認め、早稲田の優勝を祝福した。この
 出来事は、両校のスポーツマンシップを示す逸話として賞賛
 され、1960年代に小学校国語教科書にも「あらしのボート
 レース」の題で掲載された。”

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「小学校国語六年上」教科書p48~49 
     『あらしのボートレース』人の考え、じぶんの考え




庭球規「この一球」
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   ”テニスプレーヤーの間であまりにも有名なこの名文句は、
  庭球部OBの福田雅之助が 部員に贈ったものである。現在も
  部室には、額に入った直筆の全文が飾られている。後に人気
  漫画でも使われ、広く知れ渡るようになったが、早稲田大学の
  選手のみならず幾多のテニスプレーヤーが、この言葉に感銘
  を受け勇気づけられた。本学の出身ではない松岡修造選手
  も、ウィンブルドンでマッチポイントを握った場面で「この一球
  は絶対無二の一球なり」と叫んでサーブを放ち、ベスト8進出
  を決めた。”

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「エースをねらえ!」山本鈴美香/(株)集英社
  少年少女を中心にテニスブームを起こした漫画「エースをねらえ」の中でも
  福田雅之助や佐藤次郎が登場


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「こんなの、まだ有ったんだ」
老紳士が展示物を見つめて感慨深そうに呟いていらっしゃいました


わたしのように早稲田大学に縁もゆかりもなくスポーツにほとんど関心がなくても
十分楽しめた「早稲田スポーツミュージアム」

OBはもとよりスポーツ好きな人にはもっと楽しめる施設なんじゃないかとおもいました


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