仮面ライダーの地下鉄大江戸線飯田橋駅 [文京区]
まるで仮面ライダーの目のような、この建造物は
外堀通りから一本入った静かな通り沿い
地下鉄「飯田橋駅」C3出口にある
都営地下鉄大江戸線「飯田橋駅」文京区後楽1-9-5
地下の駅に新鮮な空気を送ったり
万一、煙が発生したとき排出する働きをする施設「換気塔」です
パブリックアートっぽいメタリックなデザインが秋空にとてもマッチしてます
都営大江戸線の飯田橋駅は
外観だけじゃなくて、構内もちょっと個性的です
天井を走る緑色のフレームは
照明であると同時に、地下ふかい大江戸線の
長い階段・エスカレーターにリズムを与えるしくみになっているそうです
仮面ライダーの血の色ってたしか...緑色じゃありませんでしたっけ
緑色の血管が駆け巡る仮面ライダーの胎内を経過して
地下鉄に乗って
今日はどこへ出掛けようかな
書物のなかの葛飾北斎 [文京区]
あの絵はないけど、これがある!!
文京区駒込にある東洋文庫ミュージアムで開催されてる
「東洋文庫の北斎展」へ行って来ました
会期:2019年10月3日(木)〜2020年1月13日(月・祝)
北斎の人生と作品にフォーカス
「北斎」エドモン・ド・ゴンクール/著 1896年 パリ刊
フランス語の北斎の伝記です。巻頭の北斎晩年の肖像画は、彼の娘で絵師の葛飾応為(阿栄)
が描いたものの複製です。巻末には主要作品目録が付けられ、当時の西洋で北斎作品に
対して高い関心が払われていたことをうかがわせます。著者は弟のジュールと共に、18世紀の
風俗研究や社会小説に関する著作を多数発表しました。ジュール亡き後は日本美術に関する
著作を発表し、ヨーロッパに浮世絵を広めた人物の一人として知られています。
この展覧会に冨嶽三十六景や肉筆画は展示されていませんが
北斎を紹介する海外の書物、黄表紙の挿絵、狂歌絵本など
「こんな作品も描いていたのか」っていう視点で
天才絵師・葛飾北斎の画業を鑑賞することが出来ます ☆
これぞ至高の北斎デッサン集。
「北斎写真画譜 (布袋)」葛飾北斎/画 1814年
人物、草花、動物を繊細な描写で描き、水彩の味わいを感じさせる淡彩で摺った
15図からなる一冊です。空摺りやぼかしといった高度な摺りの技術が使われています。
東洋文庫が所蔵しているのは、1814年に平由豆流という国学者・歌人によって
制作・自費出版されたものです。オランダ商館医のシーボルトが持ち帰ったコレクション
のなかには本書が含まれていました。また、西洋の美術評論家からも高い評価を得ています。
師匠もすごい!
「錦百人一首あずま織」勝川春章/画 1775年
『百人一首』に収録されている歌人の肖像に、それぞれの歌を添えた絵本です。
本書が刊行された数年後、北斎は春章に入門しました。
歌仙の肖像は古くから絵画のテーマとされましたが、春章はこれまでの定型通りに描くのではなく、
立ち姿や動きのあるポーズを多く取り入れ、表情にも歌仙の個性が出るよう工夫しました。
本書は大好評だったようで、明治時代までに様々な版が刊行されました。
この動物トレビアン!描いたのは誰?
「日本、中国、インドに関する覚書」シャルル・ド・シャシロン著 1861年 パリ刊
19世紀後半のインドと極東の見聞録です。シャシロンは1858年に初来日したフランス外交団の
一員でした。本書には、彼が江戸で購入した『北斎漫画』や『北斎画譜』から採った図版が
掲載されていますが「北斎」の名前は記されていません。
一方、本書刊行前に既にフランスで浮世絵が流通しはじめていたこと、それ以前にも北斎の名を記した
書物が西洋に存在したことなどから、北斎の受容にはいくつかの流れがあったことがわかります。
行ったことないけど、魅かれてるんです
「日本美術瞥見」ジャーヴス著 1876年 ニューヨーク刊
アメリカで出版された、日本美術を本格的に扱った本です。
ジャーヴスは美術評論家でありコレクターですが、来日経験はありませんでした。
本書では北斎の独創性を高く評価し、前世紀の最も偉大な画家だと述べています。
挿絵には、雪遊びをする子供や豆まきなどの日常風景から、鼻で荷物を担ぐ天狗という
ユーモラスなものまで、『北斎漫画』から借用された図版が多数用いられています。
圧倒的構図力!圧倒的迫力!
「新編水滸画伝」曲亭馬琴・高井蘭山/作 葛飾北斎/画 1805‐1838年
中国四大奇書の一つである『水滸伝』を翻訳して制作された、全90巻に及ぶ
大長編の読本です。馬琴・北斎コンビ作としては2作目です。
本作で北斎は、ぼかし表現を用いて雲や場面の空気感を描いたり、時には龍、岩、剣などを
枠外に飛び出させる奇抜な構図でインパクトのある場面をつくりました。
こうした挿絵が人気となり、庶民の間で『水滸伝』が普及したと言われています。
中国風武者絵の決定版
「忠義水滸伝画本」前北斎為一(葛飾北斎)/画 1829年
曲亭馬琴『新編水滸画伝』へ挿絵を提供した後、北斎は108人の豪傑のみを描いた本書を
出版しました。江戸時代、水滸伝の人気は相当のものでした。お上の腐敗を庶民が正す、
いわば世直しの物語であるところが、当時の庶民感情にマッチしたからだと考えられます。
後に歌川国芳も浮世絵シリーズ「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」を出版し、
こちらも大ヒットしますが、そこには北斎の描いた豪傑像からの影響が多くみられます。
聞こえますか・・・木霊です・・・
「三七全傳南柯夢」曲亭馬琴/作 葛飾北斎/画 1808年
『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』と並び、馬琴の三大傑作読本の一つとされる作品です。
中国の小説『南柯記』に、歌舞伎や浄瑠璃でなじみ深い「三勝半七の情死事件」という実話を加えています。
展示ページは楠のうろに棲む木霊と奈良の三輪山から来た木霊が会話する場面です。
その挿絵で、北斎は植物にも霊が宿ることを示し、また生物のように波打つ老木を描くことで、
自身が馬琴と共有するアニミズムを表現しています。
他人に不足を感じるのは、自分を完璧と思いたいから
「兒童文殊稚教訓」時太郎可候(葛飾北斎)/作・画 1801年
北斎が戯作者「時太郎可候」の画号で出版した黄表紙です。
「人間にしてほしい!」と文殊菩薩に頼み込んだ、鼻が欠けた三千匹の猿たち。
生まれ変わっても、やっぱりどこかが違う?いやいや、自分の心を養えばきっと
彼らの本当の姿が見えてくるはず。ところで、本作の中には、北斎自身も登場します。
「へく齋」「くたさくしゃ可候」などという自虐に、北斎の遊び心がうかがえます。
江戸時代がリアルに迫ってくるような臨場感
「絵本隅田川両岸一覧」葛飾北斎/画 刊行年不明 1917年復刻
93回も引っ越しを繰り返した北斎ですが、引っ越し先はほどんどが現在の墨田区内です。
そんな北斎にとって、隅田川は最も親しんだ景色であったことでしょう。
生涯「水」の描き方を追求し続けた北斎の原点は、隅田川にあるかもしれません。
本作は、隅田川両岸の風景、風俗を下流から上流へ、年始から年末へ季節の移ろいとともに
描いた北斎の絵に、さまざまな狂歌師による狂歌が添えられています。
東洋文庫が所蔵するのは1917年の復刻本です。
江戸の名所がずらァり、ずらり
「東都勝景一覧」北斎辰政(葛飾北斎)/画 三井親和/書 1800年
初めは『東都名所一覧』というタイトルで出版されていた、色摺狂歌絵本です。
『畫本東都遊』の元である『東遊』に続いて作られました。品川・日本橋・両国・浅草など
21のスポットをとりあげ、挿絵は全てを北斎が描きます。こうした江戸の勝景(名所)を
題材とする狂歌絵本は、喜多川歌麿や歌川豊国らもすでに手がけており、当時の庶民の間で
行楽が盛んであった背景もうかがわせます。
見つめられてる・・・、見つめてる・・・。
「画本東都遊」浅草菴/作 葛飾北斎/画 1802年菴
1799年に出版された狂歌絵本『東遊』のなかから、北斎の挿絵部分を抽出して色摺りにし、新たに出版
された名所絵本です。全29図を収録し、江戸の景観だけでなく当時の庶民風俗もあわせて楽しめます。
右側のページには、現在の日本橋中央通り近辺にあった「長崎屋」に宿泊するオランダ商館の一行を
物珍しそうに眺める江戸庶民の姿が描かれています。
長崎屋は日本人とオランダ人との交流の場となり、商館医のシーボルトもここに訪れたと言われています。
江戸時代のブックカバー
「書物袋絵外題集」葛飾北斎ほか 1786~1868年
店頭に並ぶ本を保護するための覆い紙「袋」に描かれた絵を集めたアルバムです。
全311図あり、袋から本の作者、挿絵を担当した絵師、出版年などの基本情報が分かります。
中の書物にくらべ、袋は捨てられることが多かったのか、まとまった形で残っている例は
ほとんどありません、当時の大衆の好みや販売の工夫がうかがえ、眺めるだけでも楽しめます。
展示箇所(左側)は1808年に出版された合巻(長編小説の一種)の袋です。
こういうのも手がけていたのか・・・
「番組ほか大型摺物」画狂人北斎、かつしか北斎(葛飾北斎)/画 19世紀前半
常磐津や長唄のお浚い会(芸事の稽古の成果を披露する会)の案内と番組(演目のリスト)です。
大奉書という縦約39cm、横約53cmの紙を二つ折りにし、絵と文字情報を半々に摺っています。
展示している4点はいずれも「葛飾北斎」と名乗る前後に描かれたと考えられます。
錦絵や絵本などとくらべると残存数が少ない、珍しい作例です。可憐で愛らしい人物、抒情性と品格、
ときにユーモアを感じさせる場面描写など、後年の北斎作品に見られる迫力ある画風とは趣の異なった
魅力が楽しめます。
もっと描きたい富士山
「冨嶽百景」画狂老人卍(葛飾北斎)/画 1834‐35年頃
北斎の最も有名な作品『冨嶽三十六景』から数年後、まだ描き足りないとばかりに
富士山の神話から風景、各地の風俗などを交えて102図を描いたものです。
北斎は50代の頃から何度か関西方面へ旅をしています。75歳の時に描いた本作には、
各地で実際にみた富士山がベースになっている図もあることでしょう。
作画が素晴らしいのはもちろんのこと、本作で特に知られているのは、図画への
あくなき意欲を記した後書きです。
その筆力、衰えることを知らず!
「釈迦御一代記図会」好花堂野亭(山田意齋)/作 前北斎卍老人(葛飾北斎)/画 1845年
北斎が挿絵を手がけた読本のなかで最も遅い時期の作例です。物語は釈迦の生涯をテーマとする
「仏伝」とよばれる文献をもとにし、挿絵には、仏伝図とよばれる伝統的な画題に加えて、
北斎の発想によって描かれたと思われる図も多いです。また、繊細かつ表現力ゆたかな筆線、
モノクロであることを忘れるほどに印象的な白と黒のコントラストも見所といえるでしょう。
本作では、80歳を超えた北斎の衰えぬ筆力と発想力を存分に楽しむことができます。
行楽日和の秋の一日、北斎のデッサン集を片手に
江戸時代の江戸の町を小旅行してきたような気分になれて
とても好きな展覧会でした
「葛飾北斎/諸国滝廻り‐木曽路ノ奥阿弥陀ヶ瀧‐」デザイン
重ね押しスタンプがあったので、せっかくなので押してきました
スタンプ1色目
2色目 3色目
4色目 5色目(完成)
こういうのって、完成品より
2・3色目あたりを摺り終わったあたりで
早く出来上がりが見たいと想像してわくわくする過程のときが一番楽しいって気が...します♪
プレバト!! 消しゴムはんこ展 [渋谷区]
10月31日「プレバト!! 秋の消しゴムはんこ頂上決戦2019」で放送された上位3作品が
11月2日~4日の3日間、渋谷駅で展示されるから
「写真を撮ってきてほしい」と福岡の母から
リクエストがあったので急遽、行ってきました
1位 千原ジュニア/テーマ「秋の紅葉」
大きさ:176×90cm(障子サイズ)
制作期間:1か月
「秋」と彫ってつくった消しゴムはんこを
実際に作品制作に使用された消しゴムはんこ
色を変え、はんこを押しては、離れて見て、をひたすら繰り返し
およそ6万回 押したそうです
「役所を定年退職したオッサンが生涯押したはんこの数より押した」本人談
2位 馬場典子/テーマ「かぐや姫のワンシーン」
3位 くっきー!/テーマ「ラブストーリー」
わたしは番組を見たことがなかったので
「消しゴムはんこ」自体、ほとんど知らなかったし
こんなアート作品がつくれるなんて驚きました
ちょっとやってみたいかも♪
まずは時期的に年賀状制作からはじめてみようかな
日本一美しい本棚~モリソン書庫 [文京区]
世界5大東洋学研究図書館のひとつに数えられる
約100万冊を収蔵する
東洋文庫ミュージアムへ行って来ました
「東洋文庫ミュージアム」
文京区本駒込2-28-21
ミュージアム最大の目玉スポットがこちら
約2万4千冊におよぶ東洋に関する書籍が
足元から天井までぎっしりと並ぶ「モリソン書庫」です
「遠東遊記」M.ピントー著 1614年 リスボン刊
‐嘘か真実か?!ピントーの大冒険‐
著者はポルトガル出身で、インドや東南アジア、中国、日本などを訪れた冒険家です。
本書は、表題に示される通り、広くアジア諸国を訪れ、その際に見聞した事物を記したものです。
一部、内容に誇張や誤りが見られることからその信憑性が問われます。
「ペリー提督日本遠征記」F.L.ホークス編 1856年 ワシントン刊
‐挿絵もある日本ガイドブック!?‐
1852年、ペリーは日本との国交開始を交渉する特命大使に命じられました。
53年に浦賀に来て交渉をはじめ、翌年日米和親条約を結びます。
本書は、ペリーが、関係公文書、自身の日記、乗組員の日誌、報告などをもとに
ホークスに編集させたものです。
「世界各地の航海と旅」ラングスドルフ 1813年 ロンドン刊
‐シーボルトの日本学にも影響‐
著者はドイツ出身の博物学者・医師で、クルーゼンシュテルンの世界周航に随行しました。
1804年、レザノフとともに長崎に到着しましたが、上陸は果たせませんでした。
本書には長崎滞在中に見聞した豊富な日本情報が収録されています。
「日本奥地紀行」イザベラ・バード著 1880年 ロンドン刊
‐イギリス人女性が見た、触れたアイヌの文化‐
女性旅行家であるイザベラ・バードは、23歳の時にアメリカ、カナダを訪れたのを最初に
世界各地へ女性として初めての探検旅行を慣行しました。
本書は、1878年6月から9月にかけて、東京から北海道(蝦夷)まで踏破した旅の記録です。
"日本一美しい本棚" といわれるモリソン書庫
本一冊一冊がまるで
とおい知らない国の街の灯のようにみえて、とてもミステリアスでした